谢谢桂铭的提醒,和几点说明。



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送交者: chen09 于 2005-5-24, 00:26:07:

1,俺的《瞿建湘的〈我们的纪念日在哪一天?〉不值一提》一文被放到“新到资料”里,是方舟子给面子。本来是想好好改修一下,多补充一点资料,再往投稿信箱里发的。后来也没有想上“新到资料”,所以直接贴到了坛子里,其中出现不足之处,谢谢指正。
2,“把9月3日作为抗战胜利纪念日”,俺并无意见。俺觉得哪一天比较合适最为抗战胜利纪念日,留给历史学家去伤脑筋好了。但是瞿建湘的观点或许正确,但是其逻辑以及曲解《诏书》和史实的作为,俺不能认同。
3,俺的文章的确是从,关于有没有“投降”一词展开的,但是并不止于此,俺的原文的中2,3,4点写到的瞿文的问题,和“投降”一词的有无没有关系。
4,关于《诏书》原文,桂铭指责俺“也应该应用先进的网络搜索技术,找找日文原文看看,再开牙不迟”,俺实在有些冤枉。俺不是没有查,不过或许查得不够严谨。俺通过www.msn.co.jp,查到的一篇有原件和现代日语翻译,所以就采信了。其URL为:http://archive.hp.infoseek.co.jp/law/1945EndWar.html

————旧字—————————————————————
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 抑〃帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カザル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ犯スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各〃最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スベシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ哀情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒテ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱シ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ
————旧字—————————————————————

————現代語訳———————————————————
私(昭和天皇)は、深く世界情勢と日本国の現状とを考慮して、非常の措置によって事態を収拾しようと考えて、ここに、忠良なあなた方日本国民に訴える。
 私は、日本国政府に、アメリカ、イギリス、中国、ソ連に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾する旨を通告させた。
 日本国民の平和と安寧をはかり、世界との共栄を喜びとすることは、代々の天皇の遺範であって、私も常々心にとどめてきたことである。先に、アメリカとイギリスの2か国に対して宣戦したのは、ただ日本国の存続とアジアの安定とを願ったためであり、ポツダム宣言に書かれているような他国の主権を排除して領土を侵すというようなことは、もとより私の考えていたことではない。しかしながら、戦争がすでに4年を経過した今、わが国の陸海軍の将兵の勇戦、多数の官吏のの励精、一億国民の奉公、いずれもが最善をつくしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界情勢は我々にとって有利ではなく、さらに敵は新たに残虐な爆弾を使用して、何の罪もない市民を頻繁に殺傷し、惨害がおよんだところはまことに測リ知れないほどになった。これ以上戦争を継続しようとすれば、ついには、我が民族の滅亡を招くのみならず、ひいては人類の文明までも破壊されるだろう。そのようになったら、億兆もの赤子とも言うべき日本国民の命をあずかっている私は、どのようにして代々の天皇に謝罪すればよいだろうか。これが、わたし日本国政府に対し共同宣言に応じるようにさせた理由である。
 私は、日本国とともに、終始アジアの帝国列強からの解放に協力してきた諸国に対し、遺憾の意を表さざるを得ない。日本国国民で戦場で戦死しした軍人、職場で殉職しした官吏、戦火にたおれた市民やその遺族に想いをめぐらすと、わが身が引き裂かれるほどであり、また、戦傷を負い、災禍をこうむり、職を失った人々の再起については、私が深く心配している所である。思えば、今後、日本国が受けるであろう苦難は、非常に大変なものである。あなた方国民の降伏に対する無念も、私はよく理解している。しかし、私は、事態の趨勢に従い、堪えがたいことを堪え、忍びがたいことを忍んで、将来のために平和への道を選んだのである。
 私はここに、国体を護持することができて、忠良なあなた方国民の忠誠を信頼し、常にあなた方国民とともにある。もし激情のおもむくままに無用の混乱を引き起こしたり、あるいは同胞に対して分裂して争うなどして時局を乱し、そのために大道を誤り、信用を世界に失うようなことは、私が最も強く戒めることであり、国民皆が子孫にいたるまでも神州(日本)の不滅を固く信じ、個々に課せられた責任の重さと今後の長い道のりを自覚し、総力を将来の建設に傾け、道義を重んじ志操をかたくし、必ず国体の精華を発揚し、世界の発展におくれることのないよう努めるべきである。あなた方国民は以上のような私の意思を理解し従ってほしい。
————現代語訳———————————————————
再这里,俺必须承认,俺犯了一个很明显的错误,这个页面上写得明白“わたしが私的に訳したもので、公式文ではありません。一部意訳があります。”,是输入者自己翻译的东西,不是正式的文件,有意译的部分。但是俺把这个忽视的,俺觉得虽说有的地方是意译,但是不该凭空加出来一段吧?原件用古日语写的,俺看不懂,所以没有太仔细看,就直接用了现代日语的翻译。现在回过头看,原件说到“哀情”,但是对什么的“哀情”没有说,翻译者凭空加上了对“投降”的“哀情”。这点俺没有注意,是俺的不对。不过桂铭如果认为“国民たちの負けたくないという気持ちも私はよく知っている”,这么翻译也可以的话,那也是值得商榷的。把“哀情”翻译成“負けたくないという気持ち”,似乎稍微差得也太远了一点吧?“哀情”是“かなしく思う心”的意思,中文翻译成“悲哀的心情”比较合适。
俺的原文中有一句“本来,《诏书》中有没有“投
降”两字并不重要,表明自己的意思就足够了。”能够说明关于这一点,俺反对瞿文的理由。那就是说,既然已经接受波茨坦公告的要求无条件投降了,是不是一定要在给自己国民的诏书中出现“投降”一词?是不是说“我们接受敌方的要求(要求就是我方投降)”这种稍微暧昧点的说法就不行呢?按照瞿建湘的观点,如果没有出现投降一词就不算投降的话,是否那天以后仍然可以再扔原子弹,继续迅速的完全的毁灭掉日本呢(迅速かつ完全な壊滅)?
5,桂铭说俺“嘲笑他人不懂日文”,俺也感冤枉。俺本日语不好,只是不太相信国人引用的材料,这是来xys后渐渐养成的习惯。既然瞿建湘提及诏书,俺自然要看诏书原文,可惜原文看不懂,退而求其次,参考现代日语的翻译。事实上,诏书的中文翻译也没有什么问题,漏掉的那句的问题也并不太大。不过桂铭和俺找到得不通的现代日语的翻译,对于此句却翻译得不太一样。谁对谁错,不想再争论了,这里只是想说明俺并无嘲笑他人之意。
6,瞿文说,苏联是如何如何做,把签署投降书后一天作为纪念日。这个作为理由,中国也要这么做,俺觉得也未必成立。毕竟情况还是有所不同。一个是全都打下来了再签投降书;一个是慑于威慑而先申明投降,再签投降书。既然情况不同,不照搬苏联模式也未必不可。俺的观点在第2点说明时已经说了,不管哪天都无所谓,但是把苏联怎么做作为自己的也怎么做的理由,没有必要。




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