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送交者: 这是个问题 于 2005-5-20, 06:08:45:

回答: “一个浙江大学教授让人发冷汗的讲演”,还真被郑强gg寒了一次 由 这是个问题 于 2005-5-20, 06:07:16:

外国人学生にかかわる名古屋大学の2事例


-留学生センター年報-
事例1:1993年度
事例2:1996年度


 執筆者
 名古屋大学留学生主事 松浦まち子助教授


事例1
 1993年度の留学生記録として、ここに一つの事例を残しておきたいと思う。それは、この事故は悲惨な中にも多くのことを問いかけ、そして多くの人々の温かい善意を表像したものであるからである。

<毒きのこ食中毒事件>
ケース
 夏休み中、留学生一家(中国)に痛ましい毒きのこ食中毒事件がおきた。RとKの夫婦は二人とも留学生、子どもは4才の男児である。経緯は下記のとおりである。

8月6日(金) Kと子どもが夕食時、東山公園で採取したきのこをたべる。
Rは24時頃帰宅し食事。その後、Kに腹痛あり、下痢、嘔吐が続く。
8月7日(土) 早朝、Kが救急車で昭和区内の病院へ入院。しばらくして、子どもに嘔吐、Rに下痢、腹痛があり、そのまま入院。
8月9日(月) 5時ごろ、子ども死亡。指導教官と友人の中国人留学生へその旨連絡あり。
10時頃、名古屋大学医学部附属病院へ転院。集中治療部(ICU)へ入院。
8月10日(火) K、重体になる。
8月11日(水) K、依然重体。Rは意識あり。新聞、テレビ等が報道。
8月12日(木) K、昏睡状態になる。R、重体になる。
8月14日(土) 夜、KおよびRの家族、中国より病院到着。
8月16日(月) 朝7:30頃、K、死亡。夜、Kおよび子どもの通夜。
8月17日(火) 午前、密葬。午後、告別式。
8月19日(木) R、肝臓機能に改善が見られる。
名古屋地区中国留学生会の募金活動、新聞に掲載される。
8月23日(月) R、血漿交換を見合わせる。
8月28日(土) R、医師よりKが亡くなったことを告知。
8月30日(月) R、一般病棟へ移る。
8月31日(火) 大学内へ、中国留学生会の募金活動支援の呼びかけを行う。
10月中旬 R、退院。

対応
 大学に連絡が入ったのは、子どもが死亡した後であった。すぐに転院させ、大学の対応について検討を始めた。病院へ見舞に行く一報で中国の家族を呼ぶ手配を行う。留学生課職員はお盆休み返上で1日中、文部省、外務省、中国大使館、在中国日本大使館、航空会社、旅行会社などとの対応に追われる。
中国大使館、中国の家族への連絡のため名古屋地区中国留学生会の会長も留学生課に頻繁に顔を出して中国語での連絡を受け持った。重体、昏睡状態、危篤と病状がどんどん悪化する中で、一刻も早く家族を呼ぶための時間との戦いだった。
家族の渡航旅費をどうするか?誰が空港(名古屋と大阪)へ迎えに行くのか?宿舎の手配は?入院・治療費をどうするか?最悪の場合の葬儀はどうするか?その費用はどうするか?いろいろな角度から検討が繰り返される中、金銭的な裏付けがないまま、人命救助最優先で事態はどんどん進んで行った。
 一方、中国留学生会は、24時間交代制で病院に詰め、看護・連絡の任務にあたった。大学生協から携帯電話が貸与され、集中治療室の外の廊下で待機する当番の留学生と連絡を取るのに大いに役立った。
また、家族到着後は、誰が家族を世話するか?諸費用をどう捻出するか?など毎日話し合われていた。苦しい生活の中から、彼らは友人のため時間やお金を惜しみなく提供していた。
 さらに大学は、他の留学生に対し、夏休み中であったが食中毒に関する注意事項を和文・英文で作成して配布・提示し、注意を促した。
 子どもと奥さんの通夜の夜、中国留学生会からの募金活動の依頼文書の原案が提出され、翌日の葬儀の際、参列者に渡したい、また新聞等を通じて一般市民にも協力をお願いしたいとの希望があった。中国の留学生たちからのカンパでは十分ではないと判断したからである。
すでに10時を過ぎており、留学生たちには10日間の看病による悲哀と疲労が見られた。日本語の訂正は、留学生相談主事が引き受け、翌日に間に合わせることを約束した。
その夜わかったのだが、時期を同じくして大学生協でも同じ趣旨の募金活動が開始されることになっていた。通夜、葬儀に関しては、中国留学生会や遺族と相談しながら大学が主体となって指揮をとった。といっても経済面を考慮し、通夜は病院の遺体安置室で、大学職員で僧侶の人に頼んでお経を唱えてもらったし、葬儀式場については、インターナショナルレジデンスのロビーを使用することにした。
ただ、いろいろな国からの留学生の死に対する考え方に配慮し、遺体を持ち込むことは避け、火葬した後、無宗教の告別式として執り行った。留学生の通訳を立て、中国語と日本語で行われた。
その後、新聞に募金活動の記事が掲載されると、連絡先になっていた中国留学生会会長は、その応対に追われることになった。一方、父親の留学生は、家族の死を知らぬまま、改善の兆が見られるようになった。1週間後に医師より知らされたとのことである。この留学生は10月に退院し、一時帰国した後、元気で勉学に励んでいる。
募金活動は9月末まで続けられ、大学内の募金、大学生協の募金等を合わせ、約1300万円という高額になった。必要経費を差し引いて残ったものは、中国留学生会の提案で留学生のための緊急援助基金「つる基金」として管理委員会を作り管理することになった。

考察
 非常に気の毒なケースであった。このケースでまず問題となるのは、大学側への連絡が入院後2日も経っていたことである。入院時に病院側が確認しなかったこともおかしいし、留学生自身が病院に連絡をとってくれるように言うべきだったとも考えられる。後で病院側からきいた内容では、本人が人に迷惑がかかることを懸念して教えなかったとのことであるが、話せば外国人であることはすぐわかるのだから、病院側が、例えば、「だれか知っている日本人はいないか」などと聞かなかったことは、今の日本の外国人に対する対応としては疑問が残る。
留学生に対しては、入院の場合は、特に、すぐに大学に連絡するよう指導すべきである。なぜなら、この最初の2日間の初期治療に本人および周囲の留学生が非常に疑問を持っており、病院に対する訴訟を起こしかねない勢いだからである。病院での処置や看護体制、子どもがいかにもあっけなく死亡したこと、死亡に至るまでの病院側の処置のなさ等疑問点は次々と出てくるが、転院後の名大病院での治療との格差もその一因となっていると考えられる。いずれにしても、人の生死に関わる緊急治療に関しては、緊急病院の指定の仕方や緊急病院のありかた・体制について、国は政策として常に目を光らせておいてほしい課題である。
 2番目の問題は、一般に留学生の生活は経済的に苦しいが、緊急事故に対する経済面での支援体制ができていないことである。今回は周囲の人々の善意に頼った募金という形をとったが、これほどニュース性のない事故の場合に十分な支援金が集まるかどうか疑問であり、留学生数が増加した場合、たびたび起きればそのニュース性もなくなるであろう。事故は留学生支援は大学が考えなければならない問題であり、ひいては留学生政策を保証するものとして文部省が考えなければならない課題である。
 3番目に大切なことは、事故が起きた場合、海外の家族との連絡等が必要になる。緊急に来日ということもあり得る。今回は、ここのところの連携が大変によかった。大学、文部省、外務省、大使館、航空会社等との連携のことである。
さらに、家族の来日に対しては、出迎えが必要であり、その際通訳の留学生も必要になることを念頭においておくべきであろう。
 4番目にはこのような事故が起きないよう予防することである。日本人にとっては風土・気候など無意識の常識であっても、留学生に対しては、それは言葉にして知らせ、注意を促すことが必要である。

事例2
<留学生のメンタルブレークダウン:心で対応?>
 私の机の前に、ある国の美しい写真集がある。それを見ていると異国の風物詩に時を忘れそうであるが、同時にあの留学生は今頃どうしているのだろうと、急遽帰国した留学生を想う。
この写真集は、その留学生からお礼に送られてきたものである。日本で暮らす留学生は多くのプレッシャーを抱えている。言葉や習慣の違いの中で暮らしながら、勉学や自分の将来のことを考えなければならない。
「留学生は精神的に弱い」と言った留学生がいたが、精神的に不安定になった留学生への最良の治療は、母国の空気の中に帰してあげることではないだろうか。

【○月○日(火)午前】
 X国からの留学生Aさんのアパートの隣室に住む留学生より「隣の留学生の様子がおかしいので、同じ国の留学生に話しをさせた方が良いと思う」との相談があった。
どうおかしいのかとの問いに「叫んだり、一人で何かしゃべったりしている。」とのこと。
Aさんを知っている留学生センター教官からAさんに連絡を取ってもらうことにした(結果として、この連絡は本人の帰国前には伝わらなかった。)

【○月○日(水)】
 S先生より、自分の指導生が友人の様子がおかしいのでアパートでずーっと見張っているのだが、締め出されてしまったらしい。今、電話があったが、こんな時はどうするんですか?との問い合わせあり。
 友人というのがAさんのこととわかり、前日のこともあったので、専門家の対応が大切と考え、保険管理室の精神科の先生へ連絡を取ったが不在。
留守電にメッセージを残したが、時間的に待てない状況だったので、医学部の留学生専門教育教官に付属病院の精神科と連絡を取ってくれるように依頼。
すでに午前11時を回っており、外来受付は終了してしまうと思われたため。
 医学部からの折り返しの電話で精神科が受け付けてくれるよう手配してくれたと聞き、S先生に連絡。
アパートの場所を知っている学生Cさんに同行してもらい、S先生と留学生相談主事の3人でAさんのアパートへ行く。
すでにお昼になっていた。
 アパートでは、X国留学生Bさんが締め出されていたが、「出かける」ということでAさんに話してもらい、着替えさせる。Aさんは母国へ帰るため空港へ行くと思い、ブレザー姿でボストンバッグ、カメラ、パスポートを持って出て来た。
しかし外国人登録証や国民健康保険証をどこにあるかわからず不携帯であった。
Bさんの話しでは、夕べ部屋などを探したが財布やAさんがいつも持っているバッグが見当たらなかったとのことであった。
 付属病院の精神科へ行くと、一階で受診手続きをするように言われ、S先生、Bさん、Cさんの三人にAさんを任せ、一階で手続きをする。しかしながら国民健康保険証がないため、 Aさんの保険証の番号や生年月日を大学へ問い合わせることで手間取った。
精神科に戻るとAさんはもう帰ると言っていたらしくなだめるのに苦労していた様子。
できるだけ早く診てくれるように看護婦さんに頼む。結果としては、二人の先生の診療を受ける。
最初の先生はその報告を受けて入院した方が管理できるが、入院は言葉の問題があって彼にとってかえって不安になるかもしれないから薬の治療で様子を見ましょうと診断された。
薬は朝と夕方、そして寝る前の1日3回服用するものだったが、薬と食事の管理は本人に代わって誰かが責任を持ってしなければならないと言われた。
病院の会計を済ませ、薬をもらって大学へ戻ったのは4時頃だった。誰も昼ご飯を食べていなかった。

【○月○日(木)】
 朝、出勤してまもなく留学生Dさんが留学生課へ来た。
昨晩、X国留学生の間でいろいろ相談の結果、 Aさんをその夜7時の飛行機で帰国させることにした。
但し、「外国人登録証明書」が見当たらないので、再入国ビザあるいは出国についてどうしたらよいかとの相談だった。
帰国に際しては、2名のX国留学生が母国まで付き添い、成田空港まではさらに数名のX国留学生がついて行くとのことであった。
午後7時出発のためには、5時までに到着していなければならないが、Aさんが薬の影響でうつらうつらしており、迅速な行動が望めないため、こちらを12時頃には出発する予定であるとのこと。
そして、今、付き添って行く留学生が入国管理局へ彼自身の再入国ビザの申請に行っているとのことであった。
 Aさんについても再入国ビザを取るべく、区役所へ外国人登録証明書の再発行について問い合わせたが、警察へ届けて1週間しても出てこなかったら、などととても間に合いそうにない。
入国管理局へ再入国ビザの取得について問い合わせたが、いろいろ書類を整えて再入国ビザを取ったとしても、外国人登録証明書がないことで出国時に何か聞かれるだろうし、再入国時はもっと問題になる可能性がある。
帰国手続きを取った方が良いとのことで、通常出国時に返すべき外国人登録証明書がない場合の出国の方法についてアドバイスを受ける。しかしながら、このために必要な「外国人登録済証明書」をもらうためには、代理人申請の場合はいろいろ面倒があり、時間的には本人が出向くのが一番早いとのこと。
友人宅にいるAさんを車で迎えに行き、区役所へ「外国人登録済証明書」を受け取りに行く。
Aさんを後部座席の真ん中に乗せ、両脇を別の留学生がガードした。万が一の場合を想定して2通もらう。
区役所から戻ったのは、11時半近くだった。急いで理由書(出国依頼書)を作成して留学生に持たせる。
付き添った留学生から、後で聞いたことだが、成田空港では別室で説明を求められたが、その時点で、Aさんは何も覚えていなかったため、この大学側からの書類がなかったら出国は難しかったと思うとのことだった。
待機していた留学生相談主事のもとに、夕方6時40分、成田まで行った留学生から無事飛行機に乗ったとの連絡があった。

 なぜ帰国させたかについては、Aさんを直接責任を持って面倒を見ようとしてくれたX国留学生たちが決めたことだったが、その背景には、薬の管理について留学生たちは最大の努力をしたが、本人が嫌がって飲まず、飲まなければよくならないとの判断、それと前日の食事後、僅かの間、目を離した隙に一人でどこかへ行ってしまってみんなで手分けして探したことがあり、一人にしておけない状況、しかしながら留学生たちは忙しくAさんにずーっとついていることが難しいこと、だからといって入院させることは医師の言葉どおり、Aさんに余分な不安を与え、よい結果にならないこと、そして何よりも本人がとても母国へ帰りたがっていたこと等、友人としての人道的な判断があったと考えられる。
後に、この判断を聞いた専門家を含めたすべての人がそれが一番良かったと口を揃えて言ったことも付け加えておきたい。最初の相談から、わずか2日間の間に留学生たちは何と迅速な判断と行動をしたことだろう。そこには厚い友情が感じられた。

 Aさんの帰国が突然だったため、いろいろな後始末が残った。今後、このようなことに携わる人々の参考のためにどのような事柄が派生してくるかを記載しておきたい。
在籍にかかわる事務手続きは所属学部と指導教官に一任したが、生活面では、留学生相談主事が通帳とキャッシュカード(暗証番号とも)を預かり、お金に関わることも含めて対応した。国費留学生だったため奨学金および家賃補助の入金の確認も行なった。
銀行口座の解約は一番最後に行い、残金を両親に送金したが、全て終えるのに留学生の帰国後、約3ヶ月半かかった。

1)アパート関係
1.賃貸契約の解約、鍵返却、敷金の返金
2.家賃支払いの「自動送金サービス」の解約
留学生が「自動送金サービス」の契約をしていたことは、翌月家賃が家主に振り込まれてはじめてわかった。もちろん家主は返金してくれたので銀行口座に入金したが、この解約も本人のサインがなく銀行との相談上、預金口座解約時に正式の振替解約届を提出することにして一応停止してもらった。
3.荷物の整理、アパートの清掃(ゴミの始末)、エアコンの処理(家主が買い上げる)

2)光熱費・水道代・電話代の支払い
1.光熱費:電力会社及びガス会社へ停止を連絡し、料金の請求を留学生相談主事宛てに送付してくれるように依頼。留学生の帰国後、約2ヶ月かかって終了。
2.水道代:家主により一括管理
3.電話代:NTT、ITJ(日本国際通信)、IDC(日本デジタル通信)それぞれに連絡し料金の請求書の送付を依頼。

3)国民健康保険の解約(紛失届又は資格喪失届け)と還付金
「国民健康保険証」が紛失して見つからないため区役所で相談し、代理人による届を提出、還付金を受け取る。留学生の口座へ入金。

4)「外国人登録証明書」
帰国時には紛失していたが、その後アパートの風呂場で財布が見つかり、お金とともに中に「外国人登録証明書」が入っていた。東京入国管理局成田空港支局へ問い合わせ、説明書を付けて返却。

5)大学生協組合員証の返却と還付金
生協組合員は組合員証を帰すと還付金を受け取ることができる。留学生の口座へ入金。

6)研究室の整理と図書の返却
所属学部の担当者立ち会いのもと、研究室の所持品の整理と大学図書館からの図書を返却。

7)銀行口座への入金と必要経費の支払い、および口座解約と送金
銀行の通帳は、Aさんがちょっとおかしいと感じられた時点で預かっていた。
最初、キャッシュカードが見つからなかったため、未納料金の支払いのため、どうすれば本人不在で解約できるか銀行に問い合わせたりした。口座への入金は、その月の奨学金、前月分とその月の宿舎費補助、財布の中のお金、国民健康保険の還付金、生協の還付金、送金されてしまった翌月分の家賃、敷金の返金であった。
最終的には、解約請求書をX国に送付しサインをもらって口座を解約し送金した。
お金のことに関わって、ご両親には何度か手紙を書いたが、いつも留学生たちからの口添えがあって、すべてが大変順調に進んだ、特に暗証番号の問い合わせに対する迅速な回答には、信頼感すら感じられた。

帰国後5ヶ月経った頃、本人からしっかりした字で書かれた手紙と写真集が届いた。
Aさんの快復ぶりが伺われたが再び日本へ戻ることはなかった。
出国手続き上、確かに「一時帰国」ではなくて「帰国」という選択しかなかったが、留学生相談主事には、母親がわが子を思う気持ちを考え、彼はもう戻らないだろうという判断があった。

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